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ー広州中医薬大学および成都中医薬大学との学術交流の報告(1)ー |
| 去る11月15日から21日までの一週間、広州中医薬大学傷寒論教研室と成都中医薬大学との学術交流を行ってきました。 一行は、粟島先生の主催する春光苑漢方研修会のメンバーと角田睦子先生を会長とする東洋医学古典研究会のメンバーの合わせて、総勢30名。 私は、かねてより関西空港から行く時は、是非泊まっていくよう私の患者でもある木村さんから誘われていたので前日に大阪の四条畷の木村宅に一泊させていただきました。 右の写真にもあるように、木村宅は四条畷という町名の名付け親でもある代々の名士の旧家で、蔵と石庭のある屋敷で、私はその離れでゆったりとした一夜を過ごさせていただきました。 翌日、ご主人に関西空港まで車で送っていただいて、皆と合流したわけです。関西空港から広州の白雲空港まで直行便で現地時間で5時半に到着する予定が嵐ですぐには着陸できず、空港の周りを旋回しながら弱まるのを待って30分遅れで無事着陸。一同ホッと胸を撫で下ろしました。 空港には、旅の間中ずっと同行してくれる中国国営旅行社の重役である張梅紅さんや中日友好医院の元外事処長の金恩源先生や深セン市衛生部の高級官僚であるととも病院の副院長でもある鄭建宏先生の三名と、広州中医薬大学からは熊曼h教授と傷寒論教研室のメンバーおよび外事処長・副処長等が出迎えに来てくれていました。中国では、出迎える時に雨が降ることは良いことなのだそうです。貴人・聖人を迎える時は必ず雨が降るとの言い伝えがあるからです。どうも、雨がほこりっぽい町並みを洗い清めてくれるからというのがその理由のようです。 その夜は、到着したその足でホテルのレストランにて馮新送学長や深セン市からわざわざ駆けつけてくれた羅楽宣衛生局長等を交えて晩餐会が催されました。皆気心が知れているので旧交を温め大いに盛り上がりました。 1,広州中医薬大学傷寒論教研室との研究発表会
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| 今回の発表のうち、特筆すべきは、角田先生の安藤昌益の治未病的望診論でしょう。その本質をよく示してくれるエピソードが、発表前日の通訳の金恩源先生と粟島先生・角田先生とのやりとりでした!私も偶然その場に居合わせましたがじつに圧巻でした!! そのやりとりを粟島先生が旅の報告の中で克明に書かれていますので、それを抜粋引用させて頂きます。 「安藤昌益の研究者は、国際的には40万人を越えるといわれているが、すべて『革命思想家』としての安藤昌益であり、医学者安藤昌益の研究は殆ど皆無に等しい。その点で角田睦子先生の発表は、画期的であった。 金恩源教授「望診と言うが、中医学では四診があるんですよ、望診だけじゃあない、臨床上での診断で、望診だけでは危ないんだ」 横から粟島は「金恩源先生。そんなことは、中医学の基礎なんで、皆知っていることです。望診は、例えばネ。唇厚きものは、小腸厚く付く。だから酒を飲んでも直ぐに酔っぱらって仕舞うから、酒が好きでない。無理に飲むと病気し易い、というのです。これは将来通じて見ることが出来る。又それ故に、酒を飲んでいると、何年後にどんな病気が出るか、ということもわかるのです。しかし、脈診、腹診等は、今、現在だけが判るんです。もう次の瞬間には変わっているかも知れん。血圧だってそうですヨ。全速力で走って御覧、20や30は直ぐに上がるんです。だから、望診・問診は過去から将来にかけての診断です。腹診。脈診はたった今何を処方するかということに重点がある。望診が出来ない中医学なら、素人に過ぎないんです。厳重な心構えで、通訳して下さい」(「肇慶・成都張仲景医学交流」報告者 粟島行春) この様に、健康そのものの段階からすでに治未病は行われるのです。なぜならここにおける未病とは生命そのもののことであり、その質・内容を問うてその将来像を見越して生命そのものを整える。これこそが本当の意味での東洋医学が理想とした治未病です。現在一般に流布している未病=健康と病気の中間のなりかけの病気、という解釈が如何に、古(いにしえ)の医聖のレベルに一歩でも二歩でも近づこうと努力して解釈したものではなく、現在の自分のボロな頭のままに自分の低いレベルに引き下げて自分勝手に解釈したものに過ぎないかが判るでしょう。 この外、粟島先生の狂牛病についての発表があって、注目を集めましたが、これについては同行した薬局新聞の川畑記者の記事が非常に良くまとめて報告してくれているので欄外の新聞の画像をクリックしていただくと拡大して読めるようにしておいたので、そちらをご覧下さい。 |
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